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3.11 東日本大震災
この体験を活かすため、あなたの声を聞かせてください。

街頭などで、震災についてのアンケートをお呼びかけしたところ、様々なご意見をお寄せいただきましたので、ホームページでの紹介をお許しいただいた方のアンケートを、順次掲載させていただきます。

引き続き、メールやファックスなどでも、お呼びかけしていきますので、ご意見をお寄せください。

メールはこちらへ》

FAXは 045(571)7020 まで お願いいたします。
質問項目は以下の3つです。
質問1)今回の地震、あなたはどんな状況で、なにに困りましたか?
質問2)今後に活かすために、なにが必要だと思われますか?
質問3)その他、この大地震で体験したこと、感じたこと、なんでもけっこうです。お教えください。
よろしければ、ご職業、年齢、性別をお教えください。

                         2011年 3月 横浜市会議員 井上さくら 


金属精錬業 56歳 男性
質問1)について
大きな地震で、又揺れの時間もいつもと違う地震でびっくりしました。
すぐに思い付いたのは、家族の安否でした。携帯電話をしてもまったく通じなく、ただ心配でした。すぐに連絡とれる電話局の対応が必要だと思う。
質問2)について
・電信、伝達の拡大、コンピューターの地震の揺れに対しての強さが必要だと思う。
・各地での避難訓練を細かく行う事。
・関東地方、都会にも、いつ来るかわからない地震です。人々に少しでも早く連絡できる検知器があってもおかしくないと思う。
質問3)について
現在、福島県にて原発の故障によって多くの人が避難しています。実際、妹の旦那の親戚が、川崎に避難しています。
なんとかやっていますが、早目に避難場所の対応が必要と思います。又、的確な情報を現地の人に伝えられれば良いと思います。

無職 80歳 女性
質問1)について
停電で困りました。地区に依って停電なかったり、情報が混乱して困惑しました。
ここの地域は大きな被害がなかったのですが、他人事ではなく今後の教訓としていくことがたいせつではないかと感じました。
質問2)について
隣近所の声かけ(救いの心)が大切である事。
大きくは与党、野党の関係なく一体となって取組む姿勢が国を建て直し、国民の信を得ることを議員の一人ひとりが認識を再確認をして欲しいと感じました。
質問3)について
私は高齢者なので、地区の町会その他のお役をなさっている方が巡回して、情況の把握に努めていただきたいと…。無事か困っている事とかを聞いて対応策を考えていく事も今後の取組みとして防災に向けて大切な事ではないでしょうか。

無職 75歳 女性
質問1)について
一人住まいのために、すぐに娘に電話と思いましたが、通じませんでした。携帯も役にたちませんでしたので、静まる迄待ちました。5.5は思ったより強いものでしたが、次から次へと不安になりました。総てのメディアが不安を大きくしました。現地の大変な事は充分と解りました。私は無力さに祈るしかありませんでした。身近な事、状況もわからす、現状を知りたいと思いました。お金もなくて沢山買込む人の気持ちはわかりませんでした。
質問2)について
両隣の家が空家になっていますので、近隣の情報がわかりませんでした。選挙の時だけ街中に広報車を走らせるのではなく、安心をさせる放送車を走らせて下さい。買込んでいる人にその必要はないと言ってください。
TVで不安だけをかり立てないで下さい。自分の住んでいる所がどんな所なのか、日頃から良く知る必要があると思いました。どんな工場や会社があるのか、水や電気はどこから来ているのか等、皆が知るべきだと思いました。
質問3)について
太平洋戦争を思い出しました。東京の街が無くなり、赤羽の駅から何もなく東京湾が見えた記憶が甦りました。小学5年生、終戦直後の事でした。親の無い子供達が沢山居ました。家のない人ばかりで総ての人達が0からの出発で、あれから今まで不自由のない生活に慣れていました。必ず復興します。時は必ず公平に幸せを呼びます。亡くなった人々の力です。今の生活にもっと感謝することを思いました。

無職 76歳 女性
質問1)について
いつも食べている食品が手に入らなくなった。計画停電には協力しますが、グループ番号だけでなく地域の細かい部分まで知らせてほしい(ユウテレビ等でながしてほしい)。
質問2)について
いざという時に情報を得るための小型ラジオ、食料等、其の他挙げるときりがないですが、避難袋は必要、不可欠であると痛切に感じています。
質問3)について
未曾有の天変地異、被災された方には何とお慰めしてよいか、分かりません。明日は我が身ということを、いつも心に刻んで、行政は勿論ですが、我われ国民もこの非常時を乗り越えて行かなければならないと思います。

会社員 38歳 女性

質問1)について

会社から自宅への帰宅が困難になったことと、その後、食料、乾電池などが品薄になったことです。

質問2)について

常日頃の震災の備えが足りていなかったと思います。
乾電池式携帯充電器、スニーカー(会社におく、枕元におく)、震災時帰宅マップ、インスタント食品、乾電池など…。

テレビの報道を見て
なぜ各局ヘリコプターをとばすのでしょう。救出中はヘリコプターの音で助けを求める方の声がかき消され、救出の妨げとなります。
今までの震災で指摘されていると思いますが、官房長官もおっしゃっていましたが、真剣に考えてもらいたいです。
報道の自由というなら全く賛同できません。

質問3)について

私は阪神大震災の被災者です。
今は被災者へ水、食料の供給が急がれていますが、おむつ、粉ミルク、女性用生理用品など、特定の方が必要とする生活用品の支援もぜひお願いします(あとはハブラシなど)。
あとはトイレ、仮設を置いてもすぐいっぱいになり使えなくなりますので、その後のメンテナンスも可能な限りお願いします。
先が見えず不安に思われていますので、いつ仮設住宅に移れる、いつライフラインが復旧するなど、おおよその目安だけでも伝えてもらえば希望が持てる、元気が出ると思います。

主婦 69歳 女性

質問1)について

私は外出中に(東急蒲田駅2階)で地震に遭遇しました。改装なったばかりの鉄骨は異様な音を立てて振れ響き渡りました。附近には10名程の人がおりましたが、皆冷静な態度で様子を見ておりました。その後JR蒲田駅まで徒歩にて行きましたが、大きなお店はシャッターを下ろし、大勢の人々が駅前広場などに集まり今後の事など打ち合わせなどそれぞれ話合っている様子でした。その時電車は皆止り、帰宅難民となった次第です。最寄りの自宅方面川崎駅迄歩いて向ったのですが、道路は車のラッシュで歩道側は歩く人や自転車で溢れました。

質問2)について

災害時には車は規制が必要と思います。救急車などの障害になったり、一台の車に火が付いた場合など考えると(二次災害)が起ると、ぞーと致します。ちなみにその夜のバスは横浜駅→川崎駅迄、間3時間所用した訳です。(市営バスの運転手さんの言葉)私と主人は川崎駅から鶴見西口に行きに乗って駅から徒歩にて自宅迄帰りましたが、日付が変って居りました。自身の足腰を日頃から鍛えておく事の大切さを実感致しました。

質問3)について

地震に遭う場所や時間により、いかにその時の状況で知力、体力、時の運を最大限に活かす事が重要なのだと思い知らされました。行政指導が適切な事は不可欠です。今度は絶対です。それと、正しい情報を知るという事も大切です。日本人は秩序有る人間性の持ち主であると共にコミュニティーを重要視なさるという事も知りました。亡くなられた方々のご冥福をお祈り致すと共に大災害に遭遇なされた方々の生活が一日も早く回復致す事を願っています。
(花月園競輪場跡地に被災者を受け入れを…大賛成です!)

無職 91歳 女性(梶山在住)

質問1)について

この度の東日本大震災、大津波の被災者の皆様は、本当にお気の毒に存じます。私は過去の横浜大空襲で焼夷弾の直撃を受け、家財も家も全焼した経験者として、今回被災された皆様のお辛さを痛感しております。終戦3か月後に生まれた赤ちゃんのおむつもなく、又配給の食糧も僅かで、主人が三浦の太い大根を買いに行き、御飯と一緒に炊きこんで食べたこと等思い出し、今回の現地の方々に少しでも援助をしてあげたいと思っております。
戦後65も過ぎた私たちは生活も豊かに幸せな日々、頂きものなども押入れに眠っている物が沢山あると思います。
質問2)について

そこで、現地に送ってあげたく思いますが、91才の老婆の私は、どこへ届けてあげたらよいのか、募金の送り先もわかりませんので、鶴見区の各町内会の役員の方に協力して頂いて、募金や品物を集めて頂けたら有難いと思っております。押入れにねむっている箱入りの毛布やタオル等も有効に使って頂けたら、幸せと思いますので、御一考御願い申し上げます。(老齢の為か、歩行が困難な私を御理解下さいませ)
質問3)について
今回の地震の当日は、私は朝から矢向のデイサービスに行っておりました。ぐらぐらと大変ゆれてきて、スタッフの方の誘導で外に出て収まるのを待ちましたが、この会場に行く時は、金銭も貴重品も何も持たずに行きますので、この様なことがこちらで起きたら、一物もなくなり火災保険や預金通帳などわからなくなって困るなと、今後の用心を考えようかと思っております。
末筆で失礼ですが、井上さくら様の益々のご奮闘をよろしくお願い申し上げます。

パートタイム 65歳 男性

質問1)について

我が家でのんびりしていましたが、大きな揺れでちょっとパニックになりましたが、大した損害もなく無事でした。
質問2)について
やはり、家族との連絡が取れない事が一番心配でした。携帯が繋がらないのがどうにもならない。最低でも携帯だけは繋がってほしい。
質問3)について
宮城県の仙台と塩釜に親戚が居ますが、連絡が取れたのが一週間後で、助けに行きたくても行けないもどかしさを感じます。
震災に強い日本の国作り、でも日本人って本当に強いです。
皆さんと一緒に復興に向けて立ち上がりたいと思っています。